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水戸地方裁判所 昭和40年(行ク)3号 決定

申請人

久保山義成

被申請人

茨城県教育委員会

主文

被申請人が申請人に対し昭和四〇年三月三一日なした免職処分は当庁昭和四〇年(行ウ)第九号行政処分取請求事件の判決が確定するまでその効力を停止する。

理由

第一、当時者間の主張等

一、当事者双方の求める裁判

申請代理人は主文同旨の決定を求め、被申請代理人は「本件申請を却下する」との決定を求めた。

二、申請人の申請理由の要旨

(一)、本件免職処分の違法性について

(1) 申請人は茨城県立土浦第二高等学校教諭であつたところ、昭和四〇年四月一日、県立高等学校教職員の任免権者である被申請人から人事発令通知書と題する辞職を承認する旨の同年三月三一日付書面による免職の意思表示をうけて免職処分に付された。

(2) しかしながら、右免職処分は次の理由により違法である。

申請人は被申請人の指示を受けた前記土浦二高の校長黒田正之から、昭和四〇年二月下旬、高年令者であるので同年三月三一日をもつて退職すべきであるとの強力は勧奨をうけた。申請人は一たんは右勧奨に応じ、同日付で退職をしたいので承認されたい旨の退職願書を提出した。その後申請人は、右土浦二高の自己より二年年長の教諭が、不当な事情をもつて勧奨退職を免れることが判明する等当初の勧奨応諾の意思を変更すべき正当な事情が生じたので、同月二七日被申請人あてに内容証明郵便をもつて右退職願を撤回する旨の意思表示をし、右郵便は同月二九日被申請人に到達した。よつて申請人の被申請人にあてた前記退職の承認を求める申込の効力は消滅した。しかるに被申請人はこれを無視して前記の如く同年四月一日に申請人の辞職を承認するとの免職処分をしたのである。元来申請人は地方公務員法第二八条、第二九条による以外はその意に反して免職されないという身分の保障があり、これよりすると退職願、及びその撤回は本人の自由意思を基調とするものであるから、本件退職願の撤回も自由にされ得る筈であり、これを無視して行なわれた免職処分は違法である。被申請人は、退職願が受理され、後任人事が決定された後において退職願を撤回することは、人事行政管理を混乱させるので、右撤回は信義に反するから許されないと主張しているが、その主張によるも、申請人の退職願提出後の後任人事は、新規採用者を含めて僅かに三名で、これを善処することは容易なことであり、ましてや県下の今回の人事異動全体に重大な支障を生ずるものではなかつた。しかも申請人の退職願は、勧奨の結果一律に全員が退職するものと考えて提出したのであるのに、前記のように自己より年長の教諭が残留することを知つて遅滞なく撤回をしたのであつて、すでに後任人事が被申請人主張のように進められていたことすら知らなかつたものである。これらの事情からするならば、申請人の退職願撤回は何ら信義に反するものではなく、これを考慮することなくなされた本件免職処分は当然に取消さるべきものである。

(二)  申請の必要性について

被申請人は、右免職処分は有効として、同年四月一日から申請人が土浦二高に勤務することを拒否し、事実上登校することが不可能な状態にした。しかも申請人は当時月額金七九、〇〇〇円手取り金六五、〇〇〇円の給与を受けていたが、右処分によつてこれを受けることができなくなり申請人の生活状態は困窮するに至つた。

その収支の明細をいうと、申請人方の収入は、現在申請人の妻久保山ちよが県立竜ケ崎第二高等学校教師をしていて、月額金七七、〇〇〇円、手取り金五〇、〇〇〇円位の給与を得ているものの、その支出関係は長男久保山和芳は自動車販売会社に勤務しているが、毎月金五、〇〇〇円不足するのでその不足分を送金し、長女久保山澄子は東京都内に下宿して聖書研究会に入り無収入なので月八、〇〇〇円から一〇、〇〇〇円送金し、次女久保山幸子は東京都内の音楽関係の大学に在学し、学資その他に月三〇、〇〇〇円送金し、申請人の住宅建築費の割賦支払金月三、〇〇〇円を支払つている。

以上の収支を計算すると、毎月かなりの金額が不足することとなり本件免職処分による申請人とその家族の受ける生活費上の支障は多大なものであり、更に本件処分の効果が続く限り、次女幸子は学資不足のため自然退学を余儀なくされることにもなり、本案判決確定に至るまで右処分の効果を甘受することは到底できない。

三、被申請人の答弁、主張

(一)  本件免職処分の効果について

申請人主張の(一)の(1)の事実、同(2)の事実のうち、申請人が主張のように昭和四〇年二月下旬勧奨退職の勧告を受け同年三月三一日退職願を提出したが、同月二九日内容証明郵便をもつて右退職願を撤回してきたこと、被申請人は同年四月一日前記申請人の退職願に基づき右辞職を承認する旨の免職処分をしたことは認めるがその余の事実はこれを争う。

被申請人のした本件免職処分は、次の理由により有効である。被申請人は昭和三九年末において昭和四〇年度における高等学校教員の定期入事異動方針を定めた。これによると公務員には定年制のない関係から、茨城県においては他府県に比し高年令者が多く人事が停滞し、新任採用等による人事刷新を計るには勇退を懇請する以外に方法がないので、その対象者をおおむね五五才以上又は勤務年数三五年以上と定め、その退職者には特に有利な退職手当を支給して、退職を促進することになつた。ついで昭和四〇年一月一二日、県立高等学校校長会議で右方針を伝達し、同月二〇日退職勧奨の対象者の予定と予算が決定され、同月二五日その対象者を各校長に伝達し、翌二六日土浦二高黒田校長からその対象者の一員である申請人に右趣旨が伝えられ、翌二七日申請人から校長に本件退職願が提出されたのである。この退職願は直ちに被申請人の担当課に送付され、その結果、申請人の退職に伴う人事異動について、県下の土浦二高、石岡一高、麻生高の各校長に接渉し、申請人の後任として石岡一高の栗山新一が、その後任に麻生高の久保田修が、その後任には菅谷和子を新採用してこれに充てる案ができ、同月二三日にはその異動が本人の了解を得て内示され、同月二七日被申請人において右計画の議決があり、同月二九日教育長の決裁が済み、被申請人の事務局では右の異動を含む一切の異動の名簿印刷、辞令の配布作業に入つていた。ところが、同日午後四時頃申請人からの退職願撤回の内容証明郵便が被申請人方に送付されたのである。

しかして、免職辞令の交付前において、無制限に退職願撤回の自由が認められるならば、退職願を前提として進められた爾後の人事異動の手続はすべて徒労に帰し、個人の恣意により行政秩序が犠牲に供せられる結果になるので、そのような場合には、撤回は信義に反し許されないと解すべきところ、前記申請人の退職願撤回の経緯に徴すると、申請人は、被申請人が右退職願に基づいて後任人事に対する教育長の決裁も済んで、これに伴う事務手続に入つていた時期に退職願を撤回したのであつて、若しこれを有効なものとするならばすでに定められた後任人事はもとより新規採用も取消すことになるという重大な結果を生じ、このように確定された人事における行政秩序を変更することはさらに混乱を招くものである。更に被申請人が、昭和三九年一二月九日各学校長を通じて全教員に対し勤務に関する希望調査書を交付し、その調査をした際にも、申請人は右調査書に「長い間勤めたので何時止めてもいいと思つている」旨記載しているのであつて、前記の黒田校長の退職勧奨も強制の入る余地はなく申請人はかえつて喜こんで翌日退職願を提出し、以後その撤回に至るまで、校長始め関係者にその撤回の意思を示したことは全くないのみならず、申請人が主張する二年年長の教諭は給与、退職金が申請人より低額であるため、初めから退職を希望せず退職願を提出しなかつたのであるから、これを原因として申請人が退職願の撤回をすることは理由がなく、むしろ右撤回は申請人の意思ではなく、同年度の定期異動計画に反対していた申請人所属の茨城高校教員組合の指導によるものであり、右撤回手続は同組合がしたものとみるべきである。一方我国においては国家、地方公務員には停年制がないので、高年令者を退職させるにはあくまで勧奨による方法しかないのであるから、これらの事情を勘案すれば申請人の退職願撤回は許されるべきでなく、これを無視してなされた本件免職処分は有効である。

(二)  本件申請の必要性について

申請人は茨城県牛久町に自宅を有し、その妻ちよは竜ケ崎二高に勤務する教員で、その給料は月額金七九、五一〇円、手取り金五七、九〇五円を受け、その子三人はすでに成人し夫々独立している。特に申請人の長女は武蔵野音楽短大を卒業し、次女は同大学在学中でいずれもピアノ教師として自活しうる能力を有している。又申請人には退職に伴つて退職金や年金も給せられるのである。従つて、申請人は、本件停止決定を得なくとも生活には何らの支障はないので、本件申請の緊急性はない。

四、証拠関係

申請人は疎甲第一ないし第三号証、第四号証の一、二、第五号証の一ないし三、第六号証、第七号証の一、二、第八ないし第一二号証、第一三号証の一ないし四、第一四号証の一ないし五、第一五号証、第十六号証の一ないし六、第一七号証の一、二、第一八号証の一ないし五、第一九号証、第二〇号証の一、二、第二一号証の一ないし四、第二二号証の一ないし七、第二三号証の一ないし六、第二四、第二五号証を提出し、

被申請人は疎乙第一号証の一ないし三、第二ないし第六号証第七号証の一ないし七、第八号証ないし第一〇号証を提出した。

当裁判所は申請人及び久保山ちよを審尋した。

第二、当裁判所の判断

一、本案についての理由の有無

(1)  申請人が土浦二高の教諭であつたが、昭和四〇年二月下旬同校校長黒田正之から高年令者であることを理由に同年三月三一日日付の退職勧奨を受けたこと、申請人がその主張のとおり退職願書を提出したが、後に至つて内容証明郵便をもつて右退職願を撤回する旨意思表示をし右郵便は同年三月二九日被申請人に到達したこと、被申請人は同年四月一日に申請人の前記辞職を承認する旨の意思表示をして免職処分にしたことは被申請人も認めるところである。

(2)  およそ退職願の撤回は、これに対する任免権者の免職辞令の交付があるまで原則として自由であり、ただ撤回者及び任免権者に存する諸般の事情から、撤回が信義に反するものと認められる場合には許されないと解すべきである。これを本件についてみるに、疎甲第一号証、同第七号証の一、二、同第二四号証、疎乙第一号証の一ないし三、同第二号証、同第六号証、同第七号証の一、二、同第八号ないし一〇号証に当裁判所における久保山ちよ、申請人本人審尋の結果を総合すると、申請人は大正一四年三月から各地の旧制中学校及び女学校の教諭を歴任し、昭和三〇年四月から土浦二高で国語担当教諭として勤務してきたものであること、昭和三九年一二月被申請人において県下の高校教諭に高年令層が多いのでおおむね五五才以上又は勤務三五年以上の者を対象に退趣勧告することを決定し全教職員に勤務に関する希望調査書を交付した際、当時六二才に達していた申請人は、勧告を受ける者は例外なく勇退せざるを得ない情勢にあると考え、右調査書に「随分永く勤めさせていただきましたので、やめてもよいと思つています」と書いて提出し、ついで昭和四〇年二月下旬右校長からの退職の勧奨が行なわれるや、前記の事情のもとにおいては、退職するのもやむを得ないと考えてこれに応じ前記の如く退職願を提出したこと、ところが同年三月二五日に二年年長の同僚が退職をしないことが判り、退職勧奨を受くべき者が全部これに応じなくてもよいことを知り、先に提出した退職願を撤回する気持になり、同月二七日退職願撤回届を被申請人に郵送し、右撤回届は同月二九日被申請人のもとに到達したこと、一方被申請人は前記申請人の退職願を得た後被申請人主張のとおり後任の人事異動に関する手続をすすめた事実が一応認められ、これに反する疎明はない。

そうすると申請人としては自己の年令を考え当初は退職勧奨を受けた者は一律に被申請人の意思に沿うて退職するであろうと思つていたのに、他に自己より高年令者が退職しないですむことを知り、退職撒回の考えに変つたことは無理からぬことである。被申請人は本件退職撤回を認めると行政秩序が混乱すると強調するが、一般的抽象的には退職願に基づいて後任人事が混乱を極めそのような事態が招来する場合も想定できるけれども本件においてはその主張によるも大きい混乱を生ぜしめる程度のものではないし、又前記疎明によるも申請人がことさらにその後任人事を覆えす目的で撤回をしたものと認め得ないのであるから、申請人の退職届の撤回が信義に反するとまでは言うことができない。更に被申請人は右撤回は申請人の加入する組合の指導によりなされたと主張するがこれを認めるに足りる疎明はなく、仮にそういう事実があつたとしても右撤回が申請人の個人的な事情による自由な意思でなされたことは前段説示のとおりであるからこれをもつて右結論を左右するものではない。

二、申請の必要性

疎甲第七号証の一、同八ないし一一号証、同第一三号証の一ないし四、同第一四号証の一ないし五、同第一五証、同第一八号証の一ないし五、同第一九号証同第二〇号証の一、二、同第二一号証の一ないし四、第二二号証の一ないし七、同第二三号証の一ないし六に久保山ちよ、申請人本人審尋の結果並びに弁論の全趣旨によると、申請人は本件免職処分当時月額金八七、四〇〇円、手取り六五、〇〇〇円位の給与を得ていたが、これを受けられなくなり、申請人の妻ちよが竜ケ崎二高で教師として月額金七九、五一〇円手取り五七、九〇五円程度の給与を受けているが、次女幸子に主張のように月三〇、〇〇〇円位を学費として送金する等子女の生活援助、教育費にその大半を費しており、その他申請人夫妻の生活費の外にも諸経雑費がかかる事実が一応認められる。

そうすると、本件免職処分により申請人の生活は妻ちよの受ける給与をもつても非常に困窮しているものといわざるを得ない。

被申請人は申請人の長女、次女がピアノの教師をできると主張しているが、これを認めるに足る疎明はなく、又申請人が右処分により受け得る退職金、年金の存在することは申請人が本件免職処分の効力を争つている現在においては、緊急性の判断に影響を及ぼすものではない。しかしてこれら退職処分に伴う申請人の事情と前述の如く免職処分が違法であり本件について一応理由があることが認められることを考えると本件免職処分の効力を本案である当庁昭和四〇年行ウ第九号行政処分取消の判決が確定するまで停止すべきである。よつて本件申請を認容し、主文のとおり決定する。

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